2011年04月26日 | コメント(0) | トラックバック(0) | Twitterでつぶやく
このタイミングなので、マスコミについて書きたいことを。
少なくとも私が某地方新聞社にいた頃は、新聞記者は駐車違反が免除されていました。「駐車禁止除外指定車」というプレートがあって、それをダッシュボードに載せておくと、どこに停めていても切符を切られることはありませんでした。
今はどうか知りませんが。
某大手新聞社の連中は、警察について「あ、それ言うなら、あのこと書いちゃうよ」なんて、冗談交じりに警察の副所長に話すのが口癖でした。「俺はいろいろ握ってるから」ということも、その人はいつも言ってました。たぶんそいつらは、今も社内で犬のような存在なのでしょう。
ある日、高速道路でスピード違反をしました。オービスに記録されて、後日、呼び出しが来たのですが、そこでの雑談中、「仕事何やってんの?」と聞かれて、「新聞記者です」というと、相手の目が急に変わって、「えっ?!どこの?」というので社名を答えると、「なんだ早く言ってよ~」と、違反はなかったことになりました。
「それおかしいやろ」という気持ちもありましたが、違反は40キロオーバーで、裁判所に行って免停&罰金8万円です。20代中盤のサラリーマンにとって、8万円の罰金が痛くないはずがありません。
正直なところ、ホッとしたのも事実です。でも、あとになって、それは私の中で、入ってはいけない世界に片足を突っ込んでしまったような罪悪感が残りました。
私は、大前研一氏に20歳くらいのころから傾倒していて、氏の発言をいつも興味深く見ていたので、細川内閣発足時に「平成維新の会」が立ち上がった時に、「国を変える」という思いからそこに入り、地域で300人いた会員のリーダーとして活動しました。
その会は、市民が集まって政策を立案し、政治家に提言するという市民政策集団でした。私にとっては、これ以上ない勉強の場でした。
しかし、その活動が会社の耳に入り、それが「政治団体」として届け出されていることから、「記者たるものが政治団体に入るとは何事か」と、きつく窘められました。
そのこと自体は私の落ち度以外のなにものでもありません。いかに義憤にかられて、志のもとに始めたプライベートな活動とはいえ、会社の規定に反し、それ以前に記者としての職業倫理に悖ると思われるような行動をしたことは、私のフォルトです。
記者としての職業倫理なんて、記者クラブに寄りついている段階で、チャンチャラおかしい話ですけどね。「お前が言うな」という。
そこで、「君の処遇はあとで会社が決めるから」と、当時の上司からひとこと言われたことで、私は反射的に「辞めます」と言ってしまいました。自分の人生を、なんでこんな奴らに決められないといけないのか。どんな処遇になるのか知らんが、お前らに決められる前に、自分が決める。そんな気持ちでした。
まったく、若気の至りです。かわいいもんです。「君はもっと利口な男だと思っていたよ」と言われましたが、まったく利口ではなかったのです。
でも、今になって思えば、あのマスコミ特有の「正義感」の中に長くいなくてよかったと、心底思います。
文章のスキルなどは、たぶんものすごく勉強になりました。今の時点で4冊の本を上梓させていただいているのも、当時毎日文章をダメだししまくられたおかげだと、本当に思います。
でも、あの「正義感」は危ない。自分は正しいと本当に思いながら、無記名で偏った記事を書き続ける、あの日常は、正常な感覚を保てと言われる方が難しい。人間が書く記事で、偏ってないものなどあり得ないのです。その意味で、多かれ少なかれすべて「偏見」なのです。それを中立を装って書く「癖」が自然とついてしまう。無記名で。
よくテレビで「警視庁24時」なんていう、警察礼賛番組がありますが、あんなのもたれ合い以外の何者でもありません。
田中角栄氏の金脈を、立花隆氏が暴いたときに、記者クラブメディアの連中は「あんなのとっくに知ってたよ」と言ってました。負け惜しみではなく、本当にそうなのです。
そこが大きな問題です。つまり、知っているのに書かない。結果、記者クラブに入れてもらえない雑誌メディアが、頑張って追及する。でも、通常は、なかなか思うように社会に広がらない。大相撲の八百長疑惑なんて、随分前から週刊誌が頑張って追及していたことです。それを黙殺していたくせに、警察が絡んだ瞬間に、初めて発覚したことのように書く。
それが、記者クラブメディアです。
メディアが正常に機能しないので、やはり「黒船」が日本の本当の問題点にメスを入れました。オランダ人のウォルフレンが書いた「日本権力構造の謎」は、私は名著だと思っています。マスコミが書けない内容を、ウォルフレンが書いたことで、当時大きな話題になりました。
その後、彼が「人間を幸せにしない日本というシステム」という本を書いたとき、たまたま聞いていたラジオ局のアナウンサーが、「外国人にこんなこと言われる筋合いないですよ。部外者は黙ってろという気持ちです」と言ってました。
それを聞いたとき、心底驚いたとともに、「もしかしたらこの国はホープレスかもしれない」と、マスコミ人のレベルの低さに絶望的な気持ちになりました。
堀江さんの刑が確定しました。彼は、上杉隆さんが主宰する自由報道協会で記者会見に臨みました。いつもは、存在を無視するかのような振る舞いを見せる記者クラブメディアも、今回はたくさん駆けつけたようです。
メディアは第四権力ではなく、明確に第一権力です。私は、平成維新の会にいるときに、大前さんにもそのことを文章にして送ってます。「大前さんは、メディアに関して捉え方が甘い」と、クソ生意気なことを書いた覚えがあります。
日本が変わるには、まずメディアが変わらないといけない。20年近く前から、一貫して思っていることですが、このところますますその思いを強くしています。
2011年04月09日 | コメント(0) | トラックバック(0) | Twitterでつぶやく
11年前に結婚してから、年に一度程度しか海外に行かなくなりました。
特に子供が生まれてからは、一度だけ長男と行ったグアム島を除いて、仕事目的でしか国外に出ません。
今の時代、海外の会社とのアライアンスを増やしたり、もっと言えば、海外にも拠点を作るくらいの動きが必要なのではないか。
日増しに、そんな思いが強くなってきています。
言うまでもなく、日本の市場は年々シュリンクしています。そして、ここにきて日本の数十%が壊滅するという、恐るべき事態が起こっています。
今こそ、日本企業は目を外に向けないといけない。
「英語ができないから」なんて言っている時間があれば、勉強すればいい。机に向かって勉強するのではなく、街に出て、飲み屋にでも行って、ガンガン会話すればいい。SFベイエリアでITコンサルをしている20年来の私の友人も、もともとは心斎橋のバーで知り合った奴です。
昨年、中国のアリババ本社に行きましたが、先日アリババジャパンにも行って、話してきました。
頭ではそれを分かっているけれど、根付いた内向性はなかなか払拭できない。アリババジャパンさんは、そんなところでとても苦労されているようです。
「日本人気質」のようなものを、どうカバーできるかが大きな問題のようでした。
ユニクロ、楽天だけでなく、実は多くの企業が英語を公用語化しようとしています。通信大手も、水面下で進めていると聞きました。
日本の場合、国主導で時代が動くことはない。民間が動かし、国は最後までそれに抵抗し、それでも諦めずに民間が推し進め、抗いきれなくなって、ついに時代が変わる。いつもそんなパターンでしょう。
「ニッポンを出よ」。多くのリーダーから、危機感を持って発せられるこの言葉を、「ニッポンを捨てよ」と勘違いしてはならない。ニッポンのために、外に目を向ける必要がある。
強くそう思います。
2011年01月02日 | コメント(0) | トラックバック(0) | Twitterでつぶやく
あけましておめでとうございます。
いま、初出社して、溜まった書き物をこなしがなら、新しい年に想いを新たにしています。
今年、弊社は『実践型ECプロデュース会社』として、これまでの蓄積を徹底的にみなさまにフィードバックしていきます。
年末までに、その準備をしましたので、新年から一気に突っ走るのみです。
弊社は、毎年Web年賀状を公開しています。時候の挨拶としての年賀ハガキは、もちろん風情があって大好きなのですが、
新年にあたって、社員それぞれが豊富を語るには、年賀ハガキではスペースが足りません。
その意味で、スペースの制限のないWeb上に、みんなのコメントをしっかり載せています。新年の挨拶だけのWeb年賀状ではないので、毎年大変ご好評をいただいています。
エクストラコミュニケーションズWeb年賀状2011
今年は、「日本を元気にする」がテーマです。
本年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。
2010年10月31日 | コメント(1) | トラックバック(0) | Twitterでつぶやく
駅前に本社を引っ越してから、いろんな人にご来社いただく頻度が格段に増えました。
それを想定して、というか、それを期待して場所を選んだのですが、予想以上の来客数です。所在地が、これほど影響するとは、実際にそこに移るまではわからないものです。
地方都市でもこれくらい違いがあるわけなので、都心部だと尚更でしょう。採用面でも大きく影響があるのは間違いありません。
それはそれでいいことだと思いますが、一方で、営業畑の私にとっては、少々違和感もあります。
少なくとも私にとっては、営業する側が自然な立ち位置であり、営業される側はあまり気持ちがよくない。その割合が増えると、「大丈夫か?」という危機感が芽生えてくる。
営業される側というのは、注意が必要です。自分ではまったくそんなつもりがなくても、どこかに傲慢さが出てきたり、何かが緩んでくるものです。
営業される回数が多くなって来たときは、特に注意したいといけない。自分自身、常にそのことを心がけています。ベンチャー企業は、お金を使うよりも稼ぐ(増やす)ことに、9割のリソースを費やさないといけない。そう思ってます。
2010年10月30日 | コメント(0) | トラックバック(0) | Twitterでつぶやく
WBCスーパーバンタム級王者、西岡利晃選手の昨今の活躍ぶりを見ると、非常に感慨深いものがあります。
97年11月、辰吉氏が3度目の王座返り咲きを果たした日、その前座に登場したのが、まだ日本チャンピオンになる前の西岡選手でした。
私は、試合会場では前座試合をとても楽しみにしているのですが、
まばらな観客の中、これまで私が見てきた数え切れない選手の中でも、ひときわ光彩を放っていたのが西岡選手でした。
バランスがいい。パンチが速く、凄まじく切れる。これは辰吉以上の才能があると思い、そこからずっと追いかけてきました。絶頂期のウィラポンに挑んだ最初の試合も、加古川まで応援に駆けつけました。
ただ、ウィラポンには4度挑んで、2敗2引き分け。「世界チャンピオン確実」と言われ、自分でもそう信じて疑わなかった天才も、何度も同じ壁にはじき返され、揚げ句にアキレス腱を断裂するという、アスリートとしては致命的な怪我をしてしまいます。
その後、衰えが見え始めたウィラポンを、後輩の長谷川穂積が攻略するのですが、そのときは西岡選手のどん底でした。
もはや再起不能と言われ、所属ジムの会長からも引退勧告される状態。ボクシング界において、帝拳の本田会長からの引退勧告は、ほとんど死刑宣告みたいなものです。
仲間の応援で会場に駆けつけたときも、ひとりベンチに座って、自分の足下を見続けている西岡氏の姿を見て、声をかけられなかったと、あるライター氏が述懐しています。
それでも、西岡は諦めず、いろいろスタイルチェンジを試みながら、4年間戦い続けてきました。しかし、長谷川が絶頂期を迎え、世間は西岡の存在をすっかり忘れ去っていました。
ようやく、アキレス腱を切った足の違和感がなくなってきた頃、格段に動きがよくなってきた西岡を見て、本田会長が「最後」という条件で、5度目の世界挑戦をセットします。これで諦めて引退してくれれば、という気持ちもあったそうです。
そこで、タイの強豪に見事に判定勝ちし、初戴冠。それだけでも、私にとっては感涙ものだったのですが、初防衛戦で、長谷川を苦しめた相手に、最終回に怒濤の連打でKO勝ち。判定勝ちに逃げ込まない、西岡のプロ根性を見ました。
二度目の防衛戦で、誰もが「やっぱ西岡って運がないな」と思ってしまうような超強敵との試合、敵地メキシコで見事なワンパンチKO。その後も、強敵相手に連続防衛を続け、評価を不動のものにしています。
何より、34歳になった今も、試合ごとに成長が見られるところが凄い。凄まじい努力の積み重ねがないと、そこまで出来ない。
西岡選手のブログのURLは、「思い通り」(http://ameblo.jp/omoidouri/)となっていますが、これも同選手の強い気持ちを表しています。
失敗か成功か、勝ちか負けか。それは、本人が諦めた瞬間に決まることです。
強く思えば、どんなことでも実現する。すべては思い通りになる。立志伝中の人物からは、いつも同じことを学びますが、同時代を生きる西岡選手を見ていると、よりそのメッセージが強く伝わってきます。
私にとって、今なお特別な選手です。