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2010年03月02日

参拝の作法

よく、神社ではこの順番で回って、こういう風にして参拝するとか、神棚はこうやってああやってとか、いろんな作法にうるさい人がいます。

 

変なことばかり起きるので、ふと神棚を見ると榊が枯れていたとか。 

決まった日に、これとあれとしないと、商売に影響するとか。 

 

そういう話を聞く度に、いつも不思議に思います。神様って、そんなに了見が狭いのだろうか?

その強迫観念って、人間が勝手に作っているだけなんじゃなかろうか。 

「こうしないといけない」なんて思うこと自体が、ある意味、神への冒涜なんじゃなかろうか。 

 

もし自分が神なら(なんじゃその例えは)、「おいおい、そんな小さい根性してないよ。お前と一緒にすな。ぷっ。」なんて思ってしまうのではなかろうか。 

 

神ごとと商売を結びつける人に限って、お客様の方を見ずに、神様(?)の方ばかり見ている。

で、自分のことばかり祈念する。つまり、実際見ているのは自分のことだけ。その上、今起きている事の原因を自分に求めずに、神様に求める。神、自然、宇宙、そんな大いなるものに感謝するわけではなく、自分ごとをお願いするのみ。 

 

人の喜びを自分の喜びにできる人は、何をやってもうまくいく。 失敗したくても出来ない。

 

自分のことばかりの人は、見事にその反対を実践しているのに、結果をすぐに神ごとと結びつける。作法とか方角とか、字画とか。

 

そうではない。人の喜びのために力を出し尽くしているかどうか。それを自分に問いかけないと、そのスパイラルは永遠に続くように思います。 

 

投稿者 tomo-m : 2010年03月02日 05:31

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