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2010年02月25日

新聞で信じていいのは日付だけ

電通の「日本の広告費」は、当然のようにネットが新聞を上回りました。私の予測は、昨年くらいに上回るだろうと思ってましたので、一年ずれましたが、どう考えても必然的な流れです。

 

ATL(マス4媒体。この言い方も、いい加減古すぎますが)の凋落は歯止めがきかない。テレビ局の予算カットは凄まじく、そもそも存在意義自体を失った新聞は、すでに新聞社の存続自体が議論の対象になっています。豊富な資産で食いつないできた大手も、すでに限界を超えているという話を聞きます。

 

私の住む地区は、全国的にも異常なところで、地方紙(正確にはブロック紙)が圧倒的に強いところです。その割には広告効果が少ないというのが定評ですが(笑)、それは複合的な要因なので置いておいて、その占有率は半端ではない。

おそらく、この地方の気質でもあるのでしょうけれど、メディアのバランスが機能しているとは、とても言えない(とはいえ、どこも似通った官製報道が中心なので、そもそも複数存在する意味がないのですが)。 

 

この地域で私が起業するときに、よく聞いた言葉は、「この辺で、C(隠す意味ないか)を敵に回すと、商売できないよ」というもの。私は、大阪からここに来たときは、Cというのはスポーツ紙だとばっかり思ってましたので、そんな影響力は知る由もありません。 

それ以前に、そんなの興味もないので、「そんなもんなのか」と聞き流していたのですが、今から考えると、確かに昔は大きな影響力があったのでしょう。もちろん、それはCに限らず、YやAでもそうだったのでしょうけれど、特定地域で異常な購読率を誇るCは、地域ではそのような存在だったのでしょう。新聞社というのは、記事を書いて配達するだけではなく、さまざまな事業を行ってますからね。その土台に自社メディアがあるのは、影響が大きいはずです。 

 

そんな、大きな存在だったので、やはり新聞の存在感は、一部の層には大きなものがあります。ただ、それは、この国のジャーナリズムは新聞記者を起点とするもので、新聞社がなければ、テレビなど他媒体の「コンテンツ」がなくなってしまうという、これまで支配されていた常識に起因する意見であり、現在は、それそのものが議論の対象になっています。

 

つまり、新聞記事の信憑性や信頼性そのものが、議論の対象になっているということです。

 

それは、Twitter現象が起こしている、ひとつのムーブメントかもしれません。Twitterというのが、単なるひとつのサービスではなく、社会変化の象徴として捉えられているのも、自然なことだと思います。 

 

自ら取材して、内容のいい記事を書く。それを広く読者に届ける。それが新聞社の矜持であるはずです。どこかの大手みたいに、記者の数を大幅に減らして、通信社から記事を買うのなら、コストだけでなく、存在意義までも自らカットすることになります。

 

取材力に自信があるのなら、迷わず記者クラブを脱退して、記事を速やかに署名制にすることです。それでOKというわけではもちろんないですが、議論はそこからだと思います。世界で議論できるような新聞社になって、ピューリッツァー賞を獲るような記者が出てこないと、これまでのように「お山の大将」でいられなくなった今、いつまでも週刊誌的なイエロージャーナリズムを無記名で繰り返しているようでは、気付いたときには取り返しの付かない状況になっているでしょう。

 

それでなくても、日本の宇宙工学の父と言われる、故・糸川英夫博士が「新聞で信じていいのは日付だけ」 と断言していたように、特に知識人にとっては存在意義など皆無に等しかったわけです。それが、ネットの時代になってラテ面も不要になり、じゃあ何を拠り所にすればいいのか、ということです。 

 

それでも、「いや、新聞は残るよ」という人は根強くいますが、そんなの程度の問題。私は、消えてなくなるなんてまったく思ってません。特に、日経のような強い会社は残るでしょう。いずれにしても、今の水ぶくれ体質を改善できて、ネットもうまく活用しながら、マスではなく「特定層」にマーケティングできるメディアとしての存在を確立させることは、必須のように思います。

 

私は、新聞配達に始まって、編集、広告など、新聞の仕事に関わってきただけに、この業界に対する想いは強いものがあります。それだけに、存在する「意義」を真剣に議論したいですね。いつまでも、ヤクザな商売は続きません。だって、数字の上でも、明らかにネットの下になってしまって、これからその傾向がますます加速することは確実ですし、新聞擁護派の人たちの意見は、常に一定で時代をフォローしていない。議論が成り立たないのです。

 

ブログですので、なんの推敲もなく書き殴ってますが、要するに、言いたいことは、新聞で信じていいのは日付だけだということ、そして、その本質を変えていかないと、レーゾンデートルはなきに等しいということ。この2点です。

 

投稿者 tomo-m : 2010年02月25日 05:25

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